若菜の狂気をくぐって


 
「若菜下」 その三回目は特別に恐ろしい段でした。六条御息所の死霊が紫上の息を止め、恨みを抱いて苦しむ我が身の哀れを源氏に訴える間に、六条院では柏木がこちらは生きた物の怪のように女三宮に密通、懐妊、取り返しのつかない事態に女三宮はなすすべもなく、その事実は源氏の知るところに。登場人物のすべてが狂ったような物の怪の世界に取り込まれて呻き叫びます。初めての方はいきなりこんな激しい段にお疲れになったのではと思います。

言葉を声にするというのは書物の中に収められている時とは違う力を帯びてしまうもので、あのように恨みや悲しみや狂気の台詞満載の今回の段、お稽古中から本当に具合が悪くなってしまって、しんどい語り会になってしまいました。そこが地の文で語る朗読とはまた違うところなのかと思いますが、このところ頸椎に異常があって、おまけに足は痛めるわ、肌にアレルギーまで出始めて瞼が真っ赤に腫れてしまっていて、なんだか私自身が取り憑かれたみたいな感じの公演でした。
けれど六条御息所や柏木の情念、源氏や女三宮の苦しみ、紫上の新たな心情・・・とそれぞれの人物を通して自身がその思いを体験しているかのような醍醐味がありました。



中井和子先生は生前「若菜をこそ語ってほしい」とたびたび仰っていました。彼岸で聞き耳を立てて下さっているかと思います。「ことだまのくに」ビジター投稿にあまりにも嬉しい御感想を戴いて涙ぐみ、先生がご存命だったらこの喜びを分かち合えたのにと思わず「先生!」と声に出してしまいました。

きらびやかな六条院が一転、苦しみ、狂気、後悔、恨みの泥沼と化し、そこから光を求めて一本の蓮の蕾がほどけようとする 紫式部はこの蓮の花をこそ描きたかったのだと思いました。これに気付かされたとき私は言葉を失ってただ泣きました。本当に偉大な物語だと改めて感じます。今や紫式部は物語の作者ではなく人生の師です。








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