日本 ゆらぎの感覚

「明日の京都プラットフォーム」無事終了しました。今回のテーマは
「日本の美 手と技の世界」
無形の文化をどのように遺産とするのか
この中で「桐壺」の巻をお聴き頂きました。
500名のお客様が しん・・・・ とお耳を傾けてくださいました。

無形文化は有形のものとちがって形を変えながら受け継がれてゆくもの、
そこをふまえて文化遺産として繋いでゆくことが大事だとのお話に、
言葉もまさにそうなのだと思いました。
言葉こそはその土地の風土を生き抜いてゆくための叡智がこめられた財産。それが千年の時の中でこんなにも変化し、標準化ばかりでなく記号化が進んでいます。CDでは音として聞こえない波長をカットしてしまったためにクリアーだけれども気配のない音楽になってしまったことでした。言葉も同じ。情報の確実な伝達だけが言葉の役割になってしまったら、人間の想像力とやわらかなこころは失われてしまいます。

触れずしてふれる、言わずしていう というゆらぎの感覚には信頼や覚悟が必要ですが、そこから推しはかる心が生まれる  日本の文化の素晴らしいところだと感じますし、中世の文化があれだけ自由闊達に花開いたのはそこに人々の意識があったからではないかと思います。

生粋の京都人の先輩方のまえで京ことばを語るのはとても怖いこと。でも中井和子先生の京ことば源氏物語をお聞きになって、今はもう使わなくなってしまった京ことばをふと思い出して私達に語りかけて下さるきっかけになったら、それはどんなに素敵なことでしょうか。御孫さんには通じないからと、古い言葉を押し込めてしまわれるのはとても勿体ないことだと思います。京都の大先輩の皆様、どうぞ私達に豊かな京ことばを教えて下さい。京都に限らず、どうぞ各地の皆様、土地が育んだ豊かな言葉とその心を若い人に伝えて上げて下さい。心からそう感じた一日でした。










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