チュニジアのこと

現在の『和 一色』におさまるまでの途上のこと・・・

私は以前チュニスに二ヶ月滞在し
国立芸術学校に編入させていただき、チュニジアの民俗舞踊を学びました。

小さい頃から私はクラシックバレエを学び、モダンダンスを学びました。
演劇で表現することを始めても、日本人であることを意識することなく過ごしていました。

チュニジアの民俗舞踊は、太陽のもと、大地のエネルギーを大気に放出するような、
民俗舞踊が等しく持つ、身体の中に生命力が湧き出す という作用を持った踊りでした。

ここで舞台表現の舞踊ではなく、民俗舞踊を学んだことが、
私に日本人の血を思い出させ、地球の上で日本人として生きることに立ち帰った出発点です。
言わばふるさとに還るための『方違え』でした。

私にふるさとを教えてくれた眩しい国チュニジアは、アラブの中では安定した国と言われてきました。かつて画家クレーが開眼したのもこのチュニジアでした。
眩しい地中海、白い壁にチュニジアンブルーと呼ばれる海をうつしたような青に塗られた大きな扉。夏にはジャスミンの香りがただよい、南に行くとサハラ砂漠が広がるフェニキア人の末裔が暮らす国。
稽古に通うのであちこち足は伸ばせませんでしたが、街のどこにいっても壁にはベンアリ大統領の肖像がかかっており、世界に肩を並べる為に革新的な考えを持つ政治だと聞いていました。恥ずかしいことに今回「ジャスミン革命」が起こるまで、国民が独裁政治にあえいでいるその深刻さを理解していませんでした。

チュニスで大変お世話になった日本人女性は、アラブ文化に生きる人々に
遠い日本という国にも美しい文化があることをその存在感で伝えてくれるような素敵な人。
彼女の素敵な御主人と、二人のお子達、そしてチュニジアの人々の新しい幸せを願ってやみません。
一人の力は小さいけれど、それが集まり波となって、国を変えてゆく
これが現実に興っているんだ・・・すごい。
わが日本をふりかえり
ある人が 省みる というのは 少な目にみる ということだよ
といっていたのを思い出しました。・・・・・!!!!!