なま なま ふるえる

久しぶりに劇場へ。

バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会、実は公開リハーサル。
鈴木雅明さん率いるバロック音楽の演奏を、何度か聴いているけれど
公開リハーサルというのは初めてでした。
最初に「コンサートじゃないですからね」と鈴木さんのお話。
解説付きでちょっと贅沢。
演奏者も私服でリラックスした笑顔もみえます。

コンサートマスター寺神戸亮さん。わーい!!!
つかの間の贅沢なひとときでした。

バロック音楽は大好きなんだけど
このところご無沙汰していました。
家にいるときはパソコンにかじりついて
パンフレットやら台本やら資料やらを作るのに追われて
ながら聴きもせずに
最近はゆっくり音楽も聴かなくなってしまった・・・。

そしてもうひとつは文楽
竹本住大夫さん、そして
桐竹勘十郎さんのファンなのであります。
その理由を書き出したらえらいことになるので控えます。

「菅原伝授手習鑑」
今回私は初めて吉田蓑助さんが男の人形を遣われるのを観ました。
桜丸。
もう・・・なんとも素晴らしく・・・しびれちゃいました。
リアリズムの勘十郎さんが、他の人形が芝居している時の受けの芝居や
気配をきいている芝居、その息づかい、その重心(だけじゃなくて一杯あるけど)
に、いつも感電しているんですが
今回の蓑助さんの桜丸・・・
何もなければきっと穏やかな人生を送っただろうやわらかな人格が、
状況の変化で、三つ子の兄弟 梅王丸と政敵に立ち向かい、命の決断、
切腹に至るまで、ずっと自身の心に響いているものに耳を澄ましている姿に見えました。
じっと身じろぎもせずに立っている姿は
様式の美をはるかにこえて、超リアリズムとして観ているこちらの心臓をぶつのです。
大げさにいっているのではないのです。ふるえてしまいました。

表現として、ナチュラルではなく、いろんなものを越えてしまったところにある
リアルを、私は体感したいといつも思っています。
すべて表現でやってみせてくれることではなくて
目に動きは見えていないのに、観ているこちらがかき回されるような
四次元体験?が、芸術(という言葉はあんまり使いたくないけど)には可能性としてあって、こんなふうにそれを体験してしまうと、もう暫く呆然としてしまいます。
観られるものと観る者が繋がるだけじゃない、もう一つの何かが加わって
言葉では言えないような時空間が生まれるような気がします。
その 何か ってなんなんだろう

随分前に寺神戸亮さんのシャコンヌだったか
演奏している寺神戸さんの頭から糸がするするほどけていって
音と一緒に上に登っていって、セーターほどくみたいに
どんどん寺神戸さんがいなくなっていく
曲が終わると同時におうどん食べ終わったみたいにぴゅるるっと
糸の端がみえなくなって寺神戸さんが終わっちゃった。
(あたりまえですが、改めて舞台を見ると寺神戸さんはちゃんと
人の形を保ってるんですよ。)
それを思い出しました。

これ読んでくださってる方はヤマシタはどっかおかしいんじゃないかって思われるかも知れませんが、これは単に私個人的な感じ方で、きっととっても不思議なリアルな体感を、それぞれに体験してらっしゃるのだと思います。
芸能 とか、写真の世界って、こういう可能性を秘めてる
やっぱりそれは 見ているんじゃなく、なまの体験なんだなあと

久しぶりにふるえる時間でした。