聖なるかな このしののめの そら

東照宮に行って感じたのは
この地が聖地なんだなあということ。
もちろん東照宮があるからじゃなくて
その土地自体のこと。だから宮ができた。
華厳の瀧のもの凄いエネルギーがこのあたり一体を包んでいる。

榛名神社に行ったときにも
戸隠で舞を奉納したときも
こういう地形がかもすというか、集めて放出するパワーに
人々がひかれて、大きな力に畏怖の思いで
祀ることをしたのだなあと
そう思った。

原発の施設を造るにあたって
「辺鄙なところであること」
と法で定められているらしい。
人があまり住んでいないところ。
当然そこは手つかずの自然がある。
原発施設はみんな美しい海辺の風景にそぐわない姿で在る。
そしてそのほとんどが活断層の上に在る。
どうしてそんな危ないところに?との問いに
辺鄙である という条件があてはまってくる。
でもそれは先人の智慧を無視したことだった。
その土地は昔から地震が多かったのよ。
でも昔の人は『活断層』とか『地殻変動』とかそんなことよりも
「大地が揺らぐ それは神の業の発動」
と受けとめて、そこを聖地として畏れ、
ふんづけて家を建てたりしなかったのよ。
人が神の力宿る場所として心の中で共有して
放置していたんじゃなくて大事にしていた場所。

揺らぐ場は神様が遊んだ場所だったのかもしれない
そういう場を



90年初頭にすでに53基あったということに驚いたけれど
夢のエネルギーを得るために
熱病のように日本という島のぐるりに
どんどんどんどん
想定外どころが想定不可能な魔力を持った施設を
どんどんどんどん


今遠くから夏祭りの太鼓の音が聞こえてくる
どんどんどんどん
心地の良い夢の中にいた高度経済成長
祭の音は遠くで聞く方がわくわくする。

正体のないものに 人は力を与えて
高揚し夢をみる

覚めるまで 夢をみる

朝は夢を知るためにやってくる
じゃあ
日本の夜明けだよ 今