身を尽くし

来週に迫ったキッド・アイラック・アート・ホールでの隔月語り会。
澪標の巻。みおつくしってなに?とよく訊かれます。
これは航行する舟の標。
大阪市章がこの図ですね。

小倉百人一首元良親王

わびぬれば 今はた同じ難波なる

   みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

会えない辛さに 今となっては難波の澪標に心よそえて
この身を滅ぼしてもお目にかかりたい

道ならぬ恋をうたった激しい歌。

難波の澪標は恋の標ともなったでしょうか。
『澪標』の巻の中で、源氏と明石君はこのうたにかさねて歌を交わします。

巻は源氏が京に戻り、勢力を増強し、新しい世の中が開いてゆく
そこには父桐壺院の御代 
聖代をいまいちど取り戻したいとの思いがあります。
それまでの右大臣勢力には 歌心やらの風流なものは
ちょっとあっちゃにおいやられていたようで。
弘徽殿女御は大后となっても
そして死ぬまで歌の一つも詠みません。
政治的な策略には頭がまわるんですが。
でも本当に不運な人でした。
嫉妬と欲望に尽きたいやああな人物に書かれてあるけど
気の毒に思える面もあります。

「敵」が存在するということは
人物を強くもするけど、喜びがあっても
心や頭に巣くっている敵を思った瞬間に
守りに入ったりしてせっかくの喜びを地に落としてしまうこともある。。。
事実の実感のしかたで 真心は変わってしまうものだなあと
この人物を観ていると思います。
入内して第一皇子をもうけたときには幸せだったんだろうに
可愛い我が子を守るためにその身を尽くして
文字通り身を滅ぼしてしまった。

みをつくし

みなさんそれぞれ究極の
みをつくしても○○○とぞ思う がありましょうね。
特に今小さいお子さんを抱えているお母さんは切実でしょう。
日本はどこへいくのでしょうか
大事な標をなくしてしまったようです。

若かった源氏は一度世の荒波にもまれて復活し成功していきますが
やっかいな恋につい惹かれてしまう瞬間純な若さはもう失って
六条の祟りを畏れての心もあるけど、
娘の前斎宮を手放したくない色気を、
(実は実子の)冷泉帝に入内させて我が身の足固めにするため養女にするなど
いやらしい政治家の心が育っていくのです。
それは辛いこの世にまみれた上に学習したことなんだけれど
世の中をしって大人になるって そういうこと?
なんだとしたら
・・・・・

政治家さん達も、最初に出馬したときは
きれいな目をしてたりするものね。

まみれても きれいな目をしていたいなあ。


みをつくし 
このところ2時間の長い巻が続いていましたが
今回は少し短くて1時間半くらいです。
前説30分もいつもどおり。
昇進して呼び名が変わったり、
だんだん人間関係が複雑になってきて
解説でも舌噛みそうです。

是非聴いてくださいませ。

http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/kid.html