シンクロナイズドリーディング ?

カラ梅雨が明け、新居の東側の窓からは朝日がさんさん
じゃなくて ギンギンにさしてアサッパラからとても暑いので
最近の午前中は東側の雨戸を閉めています。
太陽の黒点がどどどと増えているようです。
黒点がまったくなかった去年から今年、
地球を取り巻く環境ごと 大きく変化しているようです。

公演の三日前に骨折して、容赦なく迫りくる「時間」に
それでも地球はまわっている と感慨に耽りました?が、
ギプスに松葉杖生活も三週間を過ぎました。

部屋の中ではもう杖無しで歩いていますが
外出となるとそうはいきません。
早く歩けないので駅などでもったらもったらしていると
駆け足の 忙しい世の中の人にぶっ飛ばされそうになるのです。
若葉マークの車ように目印の杖を持ち歩かないといけません。

駅など公共の場が身体に不自由を抱えている人達に
いかに不親切に作られているか思い知りました。
現在改修している駅などはその辺りの配慮はなされているのだと思いますが。

今日はカシオの電子辞書、高校生向きとかこまかくバージョンがあるのだそうですが
その中に収められる文学作品の朗読の収録でスタジオに入りました。
いくつかの和歌、いろはうた、紫式部日記の冒頭、
そして少し長いヘッセの小品「少年の日の思い出」
後、教科書CD用に、茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」を読みました。
作品に併せてどんどん心の環境や時代を変えるのは
長々とした源氏物語の大蛇のような気分とはまた違う面白さです。

中でも「少年の日の思い出」は、瑞々しい、しかし幼い少年の心が
蝶を愛する熱情にすっかり支配され、取り返しのつかない事実を作りだし
自分の中の一番の宝物を 心の闇深くに沈めてしまった
そんな記憶が、大人になった今友人を前に語られる
読んでいて胸の詰まるような物語。

見付けた蝶を我が物にする瞬間までの 
息の詰まるような感動と興奮がこまやかに描かれていて
女性の私が読んで良いのかしらとも思ったほど
少年独特の感性が綴られています。
昆虫採集は生きている虫を捕らえて、息の根を止め、展翅する
女の子にはちょっとできなかったこと。
しかも少年憧れの「クジャクヤママユ」って
画像検索してみたら 蝶じゃなくて「蛾」デハナイデスカ・・・。


でもこの作品を読むにあたって
数日前に私にも同じようなことがおこったのでした。
一瞬が、取り返しのつかないことにつながる・・・
(骨折は日と共に治るけど)。

このことは、これからもこのいのちを続けていくつもりなら
肝に銘じていかねばならないと思いました。
物語の少年のように、小さい自分だけの世界に目を瞠っているのでは。

最近いろんなことがシンクロしているのだけど
このタイミングでこの小品を読むことが必然であったのだと思いました。
起こることはみな必然として起こる 
そんなことばをわかったような気になっていたけれど
本当はもっともっと大きくて複雑に絡み合った
時を超えてうねるような関係性の中の小さな交差点に私はいて
彼方から流れを汲みながらやってくるものを受け取っては繋いでいっているのだと。
縁を持って必然とみえるもの それは自分が引き寄せているのでした。

やました 修行がたり〜ん(あ ちょっと鈴の音みたい)

さて本日のお仕事で御世話になった方々から
「怪談 読ませたいな〜」とウレシイお言葉をいただきました。
去年「羅生門」を読んだときにもそういわれましたが
本日はなにゆえに・・・?と思いました。うふふ
暑さのせいでしょうかね。ぞわ〜ん