祈りの日に 閉じられた箱を

キッド・アイラック・アート・ホールの連続語り会、
今回は8月6日、そして7日の日程でした。
ただいまの世の中で、また新たな意味を持ち始める8月6日 祈りの日。
そして二年前の今日8/8はキッドで語り会を始めた日。
お陰様で三周目の螺旋を昇り始めました。

暑い中お越し頂き、支えて下さる皆様に心から感謝致します。
三月以降の不安な空の下
こうして劇場という小さな箱の中でお目にかかるのは
なにか無言の内に生への切望を共有しているような気がします。
公演の折にお目にかかる方々の御健康を祈るばかりです。
無力の自分に出来ることを考えあぐねる日々ですが
ひとときの時空の旅への空間作りにとどまらず
偉大な先人が物語に託して残してくれたこころから今何を受け取るのか、
日本人に生まれたことを日本人の誇りとして喜び 響き合える時空間を
共有することが出来ないものか、
そしていにしえのことばを今紐解くことへの欲求が
自身のどこから涌いてくるものなのか・・・
今後も無形のものへの手探りが続くのだと思います。

皆様のご支援が、継続への力となっています。
紫式部と中井和子先生にはもう直接御礼が出来ませんが
毎回ほんの少しでも質の高い語りでお聴き下さる方の小さな喜びになれば
感謝と喜びの循環につながるのではと思います。
受け継いだものを有り難くまた誰かに渡すことを
ご先祖様達が続けてくれたからこそ今があるのだと。
私もそうありたいと思うのです。

京都では終戦の日にかさなるように 大文字の送り火です。
8月6日の祈りの日に初日を迎えた今回は
無限を意味するインフィニティ ∞ がかさなったような
8/8にスタートしたこの語り会の始まりの気持ちを思い起こしました。

私たちの存在には限りがあるけれど
その きわ に立ったとき
思いが無限に鎖を繋いできたことを
いのちを通して私たちは感じることが出来るのだと思います。

かつて熊野路を歩いた8月8日
果無(はてなし)峠を雷雨の中
草木や動物たちと等しくずぶ濡れになりながら
ひたすら歩いた事を思い出します。
森羅万象を包み込む緑の古道で
果てしないいのちの営みの中に
見付けられないくらい小さくぽちりと存在する自分を俯瞰して
私の人生が新しく始まったかのように思ったことでした。

起こってしまったこと
その前の時間に戻る事はもうできません。同時に
∞ めぐって ∞ めぐって ∞ めぐっても ∞
同じ処は通らない。
いつも新しいこの足もと
ここから始まるなにかがきっとあるはず。
開いてしまったパンドラの箱に残ったものが
希望だったと信じています。