秋の ほ 本

更新をサボっているうちに秋になってしまいました。

この二週間は週末に図書館二館での語り会がありました。
杉並区の方南図書館で「桐壺」の巻
文京区の水道端図書館で「紅葉賀」

図書館には本が沢山。
本って魔法の箱。しゃはっと開くと世界が どはあぁぁぁぁん・・・
ぱふっと閉じると残響が よぃぃぃぃぃぃん・・・

閉じてるときはもの言わない。
表紙だけが無言で語りかけてくる。

私はもうない活版印刷が好き。
開いたとたんに、紙に くん と押された弾力がみえてあったかい。
小さいときからよくその紙面をなでてたっけ。
かすかな凸凹が指先にここちよかった。
ブラッドベリの小説に、なでると物語を奏でる本がでてきたけど
そんな気分だった。
今は電子図書が薄い板の中にいくらでもはいるとか。
なるほど見やすく工夫されてるのにはびっくり。
でも私は紙をめくるのが好き。

先日友人と話したんだけれど
昔の岩波文庫の活版書体の小さな文字で読むのと、
現在のを読むのでは、同じ小説でも世界が違うね。と。
旧仮名遣いだったりするともっと違う世界に行ける。

いつも源氏物語のちらしをデザインしてくれる鈴木衛さんは
文字の大きさやフォントはキャラクターだって。
なるほどチラシを見るとよくわかる。
流れる書体で大きく表したタイトルは威厳があって、
印象的な和の香の小見出し文字は静かに主張、
すっきりした古風な書体で物語のあらすじが語られ、
解説やら日程などの情報は明朝体だけど質が違うわきまえを持って。
交通情報やプロフィールはゴシック体、まじめにかちっと伝えます。
そしてそれぞれ文字間隔。行間、太さ、大きさが役割を一目でおしえてくれていて
要所要所の色がぴしっと紙面を引きしめる。
デザインって、いかにもデザインされていませんって顔して
ちゃあんとされてるんだなあ。

本をひらいてもそう、デザインを感じさせないのがデザインの妙。
本そのものがはじめからそうあるみたいな顔してる。
そう すごい仏像が最初からそういうかたちで木の中から出てきたみたいに
人の手があったことを忘れさせてしまう。

えっと 本のことを書こうと思ってたんだ。
良い本がなくなっていく。
『風の旅人』が十月一日発売の44号をもって 休刊、となる。
9年間、広告もなしに「すごい写真」と文章で
他の写真誌の追随を許さなかった本。
雑誌とはいわん いえん ゆうたらいかん。

43号にはじめて拙文を書かせていただいて
44号にも「まほろば」をテーマに書かせていただいた。
もったいないような気持ちだった。

本屋さんの流通って
性別、年齢、職業はじめ細かくジャンルにわけられて
購読者のターゲットをしっかり定めているんだそう。
だから「風の旅人」は本屋さんが置き場を迷う本 だったそうだ。

くつろぐ部屋にあまり個性の強いものよりも
お花や色合いのきれいな差し障りない絵を飾るように
生活の中にあまりにこころ揺さぶる強いものをもちこまないようにするのが
現代的なのか  するってーと何かい
するー ってことばは日本語も英語も するーっと抜けるねえ
ひっかかりを求めないのは人間関係も同じ
そんな中、表層的な衝撃でなく
感覚の根源のあたりをぐいぐい突かれるような写真とその構成だった。

あらかじめ的を絞ってつくらない。
これってわたしも目指すところ。

人の心の下、記憶の下を流れる源ってなんだろう
どこに繋がっていくんだろう