フェニキア文字革命と、源氏物語〜「あちら」と「こちら」の境

一つ前の記事をさっき更新したばかりですが、続いてニュース。
圧倒的な写真と深々とした文章で綴られた写真誌「風の旅人」の
編集長佐伯剛さんが、風の旅人ブログに
フェニキア文字革命と、源氏物語〜「あちら」と「こちら」の境』
と題して文字と右脳左脳の壮大な時空の旅、
そして最後に源氏物語の活動の紹介をして下さいました。
読み応え ありありです。

kazetabi.weblogs.jp/blog/

雑誌 などとは言えない、一冊一冊が編集長の目で斬新に組まれた写真誌「風の旅人」
休刊になったのはとてもとても残念です。
私も43,44号に、源氏物語を通してみた自分なりのやまとの心を
恐れ多くも書かせていただきました。

左脳で読んで右脳で語る(聴く)

源氏物語に接していて、本当にそう思います。
いろいろと調べ物などしながら読み深めていくときに
理詰めで得心につなげていっては
声に出す時に人ごとになってしまいます。
源氏物語は、女房が自ら語る手法 いわば
平安時代版家政婦は見た」。。。
(こんなこといったら学者先生方に蹴り飛ばされます)が、
女房の語り口には体温があって
小説の客観的な地の文とは違う距離感なのです。
そやから世の中から見えるスーパースター光る源氏の君やのうて
女の目線から見る源氏の君、そして世の中が聞こえてくるのえ。

ね、こうして途中から京ことばにすると
急に温度が変わるでしょう?

平安時代は文書と言えば漢文。
これはもっぱら男性が記しました。
それは公的文書なので情やら心、念といったものは入る余地がありません。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」
紀貫之は女装までして、いやいや、女を装ってまで
かな文学に身を浸しました。
紀貫之という人はとても心と頭の柔らかい人だったようですね。
貫之の歌 とても好きです。
道真のように、常に「私」がここにいて世の中を見ているのでなく
ふと風にもっていかれる心を追いかけてゆくような。
あはれ が色や香をもって感じられるような感覚。。。

もののあはれ 源流への旅
これが、京ことば源氏物語の私のテーマです。
風の旅人は創刊の頃から知っていて
自身が京ことば源氏物語を始めるときに
風の旅人のコンセプトと近いものがあるなあと思っていましたが
あまりのスケールの違いに、毎回案内を出そうと思いながら気後れしていたら
あちらから、チラシを見つけて「もののあはれ源流への旅」に響いて聴きに来て下さったというびっくりなご縁でした。
源流ってじゃあ一体?

多方面にどんどん広がりを見せる源氏物語、でも時に
『京都』という風土から離れてストーリーが一人歩きしていくことがあるのです。
源氏物語のなかには現代の私たちには理解しにくいところが多々ありますが
理詰めで考えるとわからないことも
京都の感覚でとらえると自然に受け止められることが多く、
あの長たらしい文章が、文法上正しく整理してしまうとよくわかるけれども香を失うように、
思いついては言葉を足し連ねてゆく京都の言語感覚で読んでいくと
不思議なほどにするすると入ってくるのです。
そして言葉はその土地の風土が育んだ叡智です。
その気候風土、その時代を生き抜くために織り出されるもの。
そこには情報の伝達よりも重視されたやりとりがありました。
それが気配、推量だと思うのです。
それは体温を持った言葉を通してしか伝わり得ないのです。
だから目で読むより ものがたりとして聴くほうがしっくり〜とくるのです。

中井和子先生は学者でありながら
大胆に源氏物語を京ことばに訳されました。
でもそれは千年前の京ことばを百年前の京ことばにしただけのこと。
どうして公家言葉にしないの?と問われることがありますが
それでは現代文にする意味がなくなってしまうし
何より失われゆく京ことばを後の世に語り継ぐことも
先生の目的であったので、中京(なかぎょう)の町衆の言葉で訳されているのです。
国文学者 そして同時に 生粋の京の風流人だった中井先生。
源氏物語をうぶすなの京都に帰してあげたいような心持ち
そんなお気持ちが感じられます。

あからさまな表現を避け
おぼろげなことばがかさねられてゆくことでだんだんとかもしだされる源氏物語の世界。
理解しようなんて思わずに 
その世界に浸ってみて下さいませ。。。