かさねの初日と岩波映画


三月三日、新たに五十四帖がスタートしました。
源氏物語のかさね にちなんで、数が重なるお節句に始めました。
美しいチラシ効果であっという間にお席が完売という嬉しいプレッシャー、
晴れ女としては晴天ぽかぽか陽気を祈願、
お陰様でよいスタートとなりました。

個人的には課題がたくさん。
桐壺の巻の語りは難しいなあと改めて感じました。
前半は桐壺更衣の死別、その悲しみが重々しく
光る君元服で空気は変わるものの、儀式の様子が綴られる場面は
聞いたこともない宮中の言葉が続いてちと難解?

さすがにこれからの壮大な物語の発端とあって
物語中にいろいろ説明しなきゃいけないことも多いのですね。

でも何度読んでも、御局は桐壺なり までの表現は
言葉をかさねてかさねて、おぼろげにその美しい人を浮き立たせ、
その後更衣を霧の中にフェードアウトさせてしまうのに呼応した表現だなあと思います。

霞の中に立ち現れて 霧の中に消えてゆく
これはそのまま源氏の君のもつ母のイメージとなるのでしょう。
藤壺の宮様に浮かんでは消えるこの母のイメージ
そのまま紫の上にもかさねらるのですね。

年に三回の公演だと二十年もかかってしまうので
ちょっとまきでいかねばなりません。
乗ってきたらもっと増やしていくのと同時に
皆さんと共に健康で元気にまいりましょう!と耳の日のうち入りでした。
次回はやはりかさねで七月七日、七夕です。

源氏物語ではままならない逢瀬に七夕がかさねられることも多いですね。

さて、スタッフの方がご用意して下さったお昼ご飯!!

写真-1.JPG

たまごの衣装を着たおむすびおひなさま!
こんなすてきな遊び心のおもてなしに感激。

そしてもう長いことあっていなかった方に再会、
かわいいブーケをいただきました。

写真.JPG

ほっとする間も無く内田百輭 ですが
日曜日は岩波ホールに映画を観に行きました。
オタール・イオセルアーニ監督の「汽車は再び故郷へ」。
主人公の子供の頃から始まるのですが
グルジアの片田舎、物に溢れる消費経済とは無縁の時代と土地
その美しさと子供の可愛いたくましさに一気に引き込まれました。
長じて映画監督になった主人公は波乱の末パリに移りますが
アイロニカルな表現は世の中に全くなじまず故郷に戻ります。
しかしついにはどこにも理解の場をなくして・・・さあどうする?というところで
突然現実の世界からいなくなってしまうのです。
ありゃ・・・
あちらとこちらの世界に境なく行き来できるのは好きだけど
これはちょっと・・・と思いました。
とっても期待して行ったので残念でした。
もっと深い見方があるのかもしれませんが

世の中から理解されないことを続けていくって本当に大変なこと。
しかも信念を持ち続けて気高くあることは尚一層。
消費経済やら流行やらと無縁なところで活動している人はでもたくさんいて、
3.11以降の人々の不安を紛らわせるために一層囃し立てるメディアの見せる夢から遠く
こつこつと骨身を叩いて本心を打ち出していく音が
あちらからこちらから 響き始めている昨今。
生きるという字と生むという字が同じなのも
子供を産まなくても、物を作り出さなくても
生きていること自体がなにかを生んでいるからだと思えます。
その人の在りようそのものがもう表現で、関わるすべての人がその表現を受け取るのです。
私の周りにはそんなすてきなひとたちが
たくさんいてくれます。