百輭先生の煙にまかれて 03-11

内田百輭お伽噺集の朗読会が終わりました。
飛び込みのお客様も多く、予想外?に満員御礼!!ありがとうございます。

百間先生のこの短い(短すぎる)お伽噺の数々、
物語に当たり前になっている起承転結はどこへやら
目隠しされて手を引かれてそこの辻を曲がったところで
ほい と一人にされてしまうような感覚を
さあどう読んだものか。
黙読している楽しさと、それを表現するのとではまったくちがうのね〜と
今さらながら思い知りました。
長い物語を読むよりもある意味むずかしかったのでした。

選曲したショスタコーヴィチストラヴィンスキー
近代の香りは、百間先生の諧謔の物語世界になんだかぴったり寄り添って。


日本人の窓がヨーロッパに向けて開かれていたこの時代
物語の登場人物の行動には動機があって、そして言動し、
それが結果へと導かれてゆく。
でも起承転結という構築をまったく無視して
ぽおんと放り投げられてしまう感じはまるで
源氏物語の終幕と同じ気分。
え・・・それで 終わっちゃうわけ・・・?
とそこから読者の思索の旅が始まる。

完璧、完全を好まず、わざわざどこか欠けた状態をつくり
これをよしとする日本独特の美意識がここに見え隠れ。

最近みんな忙しくてね、ぱぱっと解って、決着ついたほうが
てっとりばやく了解できてわだかまりもなくって
すぐ次にモードチェンジできちゃったりしていいんだけれども、
時々ね、
こういう時間に身を置いて、ぽかんとしてしちゃって
刻んだ時間を追いかけるような不思議なタイムラグを
味わいたいなあと 思うわけです。

今日は懐かしい人がたくさん来て下さいました
ありがとうございます。

それから
しおみさきえさんのクッキーつき!なんてブログで書いておきながら
しおみさんのご都合がつかず、嘘つきになってしまったこと
この場を借りてお詫びいたします!!ごめんなさい。

半襟で遊びました。。。
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