母の決断

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おちびのころ 
母編み物の上手な母はベビー服から自分の着ているスーツまで手編みした。

今朝、今はもう年取った母が股関節の手術を決意したときいた。
もう長く痛みをかかえて 杖をついて近所のマーケットくらいにしか自分の足では行けない母は、家の中では家具の配置に工夫してこれまで頑張ってきたけれど
この春、その効果に確たる保証もない手術に賭けてみようという。

頼っていた父が倒れてから 母は長く煩ったぜんそくもふっとんで
父がある夜浴槽に沈んでいたときも火事場の馬鹿力で乗り切った。
我を忘れると病っ気が居場所をなくすというよい例を見るようだった。

ずいぶん前に一度見送ったその手術を
高齢になった今受けようという気概に
「まだまだうちはこの世に居な あかん・・・」
そういうエネルギーを感じて 娘の私はとても嬉しい。

自分の役割
それを確信している人は強い。
アーティストとしてなにかを作ったり、社会に向けて何か打ち出したり
そんな活動をしていなくとも
母は日々を生きることで自分を表現している。
日々をきちんと暮らすこと
父と二人の生活を心地よく、こころうつくしく生きている姿を
誇らしく思う。

実家に帰ると 家庭菜園で丹精した野菜が 一番のご馳走。
今年のは不出来だと言われてもおいしいと思う。
味覚の判断以上のうれしさが湧いてくる。
逢えなかった日々を戴いているようなきもちになるからか。

兄夫婦はいつでも両親を迎える準備をしてくれているけれど
それを喜んだ上で
出来るところまで自分の力で父と生きていこうとしている母に
娘はエールを送るのだっ。

ふれふれ みっちゃん。