京都の夏が遠のいて

京都に遺る揚屋建築 重要文化財『角屋』さんでの語り会が
無事に終わりました。
麻布香雅堂の山田眞裕さんが貴重な原木のご紹介と共に
源氏の君の香を再現して下さり、お陰様で素晴らしい会になりました。

江戸期の建築の粋を結集させたかのようなお部屋の数々。
かつて蕪村をはじめ文人達が集いっては杯を交わし語り合い、
新撰組が大暴れしたこの同じ空間で、源氏物語を語れる幸せを感じながら
当日の心中は実は悠長なものではなく、大きな課題を抱えての楽屋入りでした。

二日前にかつてこの世界に飛び込もうというきっかけを与えて下さった演出家の先生に
リハーサルをかねて聴いていただき、大きな課題をいただいたのでした。

壮大な五十四帖の最初の巻である桐壺の巻は、夕顔や若紫、葵といったダイナミックな展開はなく、寵姫を失った桐壺帝の有り様や源氏の誕生、婚礼、ドラマとしては細やかに、
そしてこれからに繋がる恋の兆しでしめくくられます。
語るにはなかなか難しい巻ながら、目から鱗のアドバイスをいただき、
本番前の一日、これまでを一旦忘れて、頭の中を一新、組み直してみました。
あたらしい物語が自分の中で立体的に動き出すことにワクワクしました。

改めて、女房が語ると言うことはどういうことなのかということを考えました。
朗読でもなく、演劇でもない、そして暗唱でもなく、かつての女房がそうしたように
書かれた物語を手にしながらそれを身体に通すと言うことは・・・。

京都ではこの演出家の先生をはじめ、私のスタート地点から見守って下さっている方々が私を支えて下さいます。厳しく愛しんでくださる方々に支えられ、人前に立たせていただいていることに、有り難い、という言葉が身に沁みて感じられます。


しみじみと喜びをかみしめて、翌日は中井先生の墓参に出掛けました。
この春献体から戻られて初めての墓参でした。法然院さんの念仏会にも参加。
その後の京都では母のリハビリの見学をしたり、両親と一緒に梅小路の水族館に。
痛みなく歩けるようになった母は、これまでもう長いことテレビでしかみられなかった世界に
自分の足で踏み込んでいきます。
とめてもとめても、ガラス越しにへばりついているペンギンにこっちをむいてもらおうと
水槽をとんとん叩く母は子供のようでした。
沢山歩きすぎて少し疲れたようでしたが、これが大きな自信に繋がることと思います。

学生時代の友人がちいさな同窓会を開いてくれて、これがまた異形 いやいや異業種交流会のようで格別でした。友達って、やっぱりいいですね。

東京は夏の断末魔のような酷暑続き。
そしてブルームーン地震の後、ゲリラ豪雨が二日続いています。
天地はものを言いたげです。その気配を聞く感覚を
私たちはとりもどさねばなりません。