18歳の昔話

先日facebookにある写真がupされ驚きました。
それは私の十八歳の頃の写真、京都で初めて演出のもとにお芝居をした舞台写真です。

ダンサーになるという夢を描いていた私は、脚の故障でダンスを断念してからは生きる目標を失ったゾンビのようでした。今から思えば、あんなに若くて何でもできる可能性があったのに、自分の中の狭い世界で目標に的を絞りすぎて、それ以外何にも見えなくなってしまったのでした。もしかしたら諦めたことで他をみたくなかったのかもしれません。毎日悶々として、長く伸ばしていた髪も必要ないと、眠れない夜中に自分でばっさり切ってしまったりと、ちょっとばかりすさんだ心でいました。
それまで身体をフルに動かしていた生活からぱったりと動かなくなると、エネルギーは行き場を失います。
その上思い詰めて頭はギンギン、毎夜何度も金縛りに襲われるようになりました。体と心のバランスがすっかり壊れているのだから当たり前なのですが、当時はなにかに取り憑かれているのではないかと毎夜恐怖でした。

ブレヒトの芝居上演の3ヶ月講座があるよ」と教えてくれたのは、当時私がブレヒトの詩集を読んでいるのをみつけた友人でした。なにかわけのわからないインスピレーションで即決、母に相談しました。母も私が苦しんでいるのを知っていたので、やりなさいと勧めてくれました。講座の詳細を聞こうと電話をすると今日から始まるとのこと、私は具合が悪いとか何とか言って学校を早退し、(この日は体育祭の前夜祭でしたか)雨の中文芸会館の稽古場に飛び込みました。もう皆さんの自己紹介が始まった所でしたが受け入れてもらい、そこから私の新しい日々が始まりました。3ヶ月で「セチュアンの善人」という大作を上演にまでもっていく。劇評家/演出家/役者の菊川徳之助先生や、ドイツ文学/ブレヒト研究家の近藤公一先生のご指導、音楽は林光先生。そして京都労演の方々が支えて下さいます。参加メンバーはほとんどが社会人、大学生で、高校生は二人だけでした。このエキサイティングな日から、あんなに逃れがたかった金縛りがぱたりと止みました。(なんてわかりやすいんだろう私)

発表の日は12月14日 討ち入りの日。そして高校生の私にとっては二学期の期末試験の中日という大変な時でした。今でも不思議なくらい、この時の集中度は高くて、三時間ほどの台本の総てを一読で覚えてしまうほどでした(今じゃあり得ぬ)。試験勉強もその調子で総て一夜漬け、というよりほとんど教科書一読で、こっちは覚えたのかどうか記憶にもありません(笑)舞台と試験にかける比重たるや9対1くらいでした。おそろしー。

ハプニングさまざま勃発(舞台から転落など)する中芝居は無事終わり(無事の定義検証)、この間に初めて新劇というものを観て、この講座で知り合った人が無名塾の公募書類を取り寄せてくれ、翌年1月に東京にオーディションに出掛けて今の私があります。ジェットコースターのような日々、写真はそのクライマックスのように、物語の中でやむなく自分を捨ててもう一つの人格を生きる主人公が人生の選択を自らに迫るシーン。

それからさまざまなことがありました。表現そのものと、それを取り巻く世界  帳尻を合わせることが出来ずに押さえ込んでいった意識は病気になって現れて、遠のいたこの世界にまた違った立ち位置で生きている今。
昔の写真って恥ずかしいですが、この時の気持ちは紛うことなく一心純粋でした。そして思いがけないときにこの写真が目の前に現われ、一瞬にして時を旅して過去と今に繋がる自分に逢うことができました。先日京都であの時の講座で御世話になった演出家の先生やスタッフとして支えて下さった方とまたお仕事が出来、初心をもういちど と思っていた矢先、この写真を目にしました。

当時あんな難しい役を恐れ知らずに「やっちゃった」のは、
「無知は力」のなせる技でしたが、同時に
失うものなど何もない自分だったと思うと なんだか眩しいような気がします。
畏れを知った上で 初心よりも大切なのはむしろこの気持ちなのかも知れません。


http://www.genji-kyokotoba.jp/