3月の声 残響

 昨日は3月の声と称する輪読の会に出席しました。3月にまつわる日記や小説、詩を思い思いに持ち寄って、喫茶店の片隅でひっそりと声を交わしあいました。私は芸もなく源氏物語の花の宴から藤の花の宴を原文で聴いていただきましたが、ステージで語るのとは違って顔をすぐ傍でつきあわせて居る10人程の人の耳にだけ届けるような静かな語り。ふと この感じは案外その昔の女房の語り声だったかもしれないと 思いました。
 
参加者のお祖母様の二十歳の時の日記は大阪の空襲の体験が綴られていました。そして無くなった詩人の遺した詩、つい最近の出会いと対話をおこしたもの、大事な言葉をくれて今はもう会えなくなった方への愛しさを綴った自作、生まれて、育って、受け継がれてゆく命の連歌・・・。

テーブルを囲んで少し前傾で耳を傾ける私達は、見えないドームで覆われているようでした。その中に響くちいさな声。人の声は心を揺らします。書かれたことばを声にするという行為は思いへの供養だと思います。新たに生かし、そして鎮める。声にすることで思いは命を貰い生き続けてゆくのです。

参加者のお一人は地質学者で、何億年も前の石の記憶を聞くのだと話して下さいました。石も、本も、黙ってそこに在って、紐解かれるのを待っているのかもしれません。カザルスが、ちょうど昨日が誕生日だったバッハの無伴奏チェロ組曲に命を吹き込んだように。そんな語りが出来たらと心から思います。