フランスでの講演が終わりました

 パリ文化会館からの招聘を受けて、文化会館とイナルコ大学(国立東洋言語文化研究所)で講演をさせていただきました。
イナルコ大学では日本語を学んでおられる方々にお聴き戴くとあって、「花の宴」の巻を原文を中心に構成、標準語での簡単な説明に続いて原文、京ことばと、その響きを比較して聴いていただきました。

 朧月夜の姫君 といっても・・・・と、パリで朧月が見られるのでしょうか、と、日本では月が沢山呼び名をもっていて、月の名だけで季節や時間帯、風情を感じ取ることができるので、たった三十一文字の歌にもよく詠み込まれるのだとか、とてもおおざっぱではあるけれど王朝人の心が月と供にあったことをお話ししました。
有明の姫とも呼ばれる朧月夜の姫。湿気が多い京都の春の夜、満開の桜越しにぼんやり浮かぶなまめかしい月の風情をまとい、夜が明けてそこにいるのに正体がぼやけてゆく有明の月のイメージがどこまで伝わったかは判りませんが、興味深く聴いていただけたようです。終わってから美しい日本語で「私は源氏物語の語りを学びたいのです」と熱く語りかけてくれた学生さんがありました。日本の文化が大好きだそうで、とても嬉しくなりました。
ワルシャワ大学でも感じたことですが、美しい日本語はむしろ日本の外で保存されているようで、いつの日か外国の方から日本語を学び直すということになりかねない日本の現状を思いました。

 エッフェル塔のすぐそば、セーヌ沿いにある日本文化会館は、日本の文化が集結する所です。
パリに着いた翌日、打ち合わせの後に文化会館の劇場で能とオペラの融合劇を鑑賞。
狂言と能の形態はギリシャ劇の悲劇喜劇の流れを汲むヨーロッパの歌劇に置き換えることが可能なのだと新鮮に味わいました。が、多少の疲れで第二部は居眠りしてしまいました。
 文化会館での講演当日は、用意した画像、音楽などで貴族の生活の様子、扇の文化、かさねの色目などご紹介しました。機器の操作、通訳など,会館の方にお力を頂きながら。
 白の魔法、もののけと人の心、という夕顔の巻のポイントとなるところを話し、
フランス語訳の夕顔の巻冊子を片手にお聞き頂きました。
語り終えて、いただいた拍手が戸惑うほどに長く続き、こみ上げてくるものがありました。
皆様が心から耳をかたむけて下さった事を実感してとても幸せでした。
最後に会館からのリクエストで『京ことばレッスン』をすこし。

挨拶などの日常の言葉を、標準語と京ことばで紹介し、皆さんに声にして貰いました。
パリッ子の発声する「おおきに」「あきまへん」「かんにんしとぉくれやす」・・・
随分楽しんで頂けたようで、なごやかに弾んだ雰囲気で終了しました。
写真は竹内佐和子館長様と
日本人会会長浦田良一様

 この日は花扇画家の吉本忠則さんの扇子を開場に展示、深い色の扇面に浮かぶ繊細妖艶な花の絵にほれぼれと見入る方々・・・フランス人の美に対する意識の高さはここでも実感できました。

その後は音楽家の友人宅、ブルゴーニュ近くの村に住む友人などたずねたり、モンサンミシェル、教会巡り、シャンゼリゼ劇場管弦楽、マルモッタン美術館などフランスを満喫しました。

古いものを見るのがとにかく好きで、クリュニー中世美術館の朽ちかけた石をなでたりしながらフランスに流れた時間を感じる旅をしました。ヴェルサイユ宮のなるほどこれでは革命も興るという度を超した豪華さ、教会の心動かされる荘厳な美しさ、修道院の削ぎ落とされた美意識、石の文化の堅牢な実在感はそのままそこに暮らす人々の精神に繁栄されていったのだと思いました。

何百年もの歳月をかけて現在の姿となったモンサンミシェル修道院は、100年戦争の頃には要塞に、革命時には牢獄として使用され、石はその時の流れをじっと見てきたのでしょう。
そうしてみると法隆寺西院伽藍などの残る日本の木造文化も驚異的なものだと改めて思いましたが、木の文化が育んでくれた日本人の感性は、だんだんにコンクリートや金属にとって変わるにつれて変化してきたのだろうと感じます。
いにしえの心をもういちど求めるなら、時によってはかなくなる有形の物、そしてなにより無形のものとおつきあいすることがまた求められるのかもしれません。

異国の文化や歴史に触れることで、改めて日本人である自分を見直してみるきっかけを頂いた旅でした。









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おおきに